世界の凸凹と認知の凹凸とを越えて
上智大学グリーフケア研究所
仏教心理学会 運営委員・副会長
葛西賢太

 私たち上智大学グリーフケア研究所では、傾聴者を養成するためのグループワークの演習授業を、7年、続けてきました。2020年4月、コロナ禍で、この演習授業を急遽オンラインで行うことになり、その後、教員と受講生全員が苦労しながらも一年間を乗り切りました。米国心理学会の「遠隔心理学ガイドライン」を参考にして、オンラインならではの傾聴を学ぼうと呼びかけながら進めました。

 これまで、学びの紹介や情報発信のために、FacebookというSNSを使って、本の紹介などけっこうな数の発信をしていました。
コロナ禍の中で、攻撃のはけ口を探すようなやりとりをたくさんみました。時には身近な人がそれに巻きこまれました。間違った情報が意図的に、あるいは自覚せずして流されているのも目にしました。みたいものだけみる、知りたくないことはみないようにするというしくみになっているSNSというメディアが、心底、嫌になったのです。そこで、すべてを削除して退会しました。毎日みる習慣がついてしまっていたので、しばらくはちょっと変な感じでした。また、有用な情報を共有してくれる友人もいましたし、高校の同級生などともつながっていたので、少し心残りはありました。

でも、人生の残り時間を見越して、その時間を別のことに使いたいと思ったのです。それで、あらためて心理学の、とくに発達障害についての研究を読み直しています。

発達障害は、現代人の心理を考える上で欠かせないテーマです。私が関心をもっているのは、実はその手前、発達障害と診断されない程度のだれにでもある「認知の凹凸」です。SNSのなかでみてきた、あるいは現実社会の中でみてきた、仮想敵を作る「責め合い」などの「世界の凸凹」を、「認知の凹凸」の視点で見るようになりました。

通俗的な心理学では、たとえば「知能指数」を引き合いに「頭のよしあし」を問題にします。しかし現代の心理学では、個人の中の「認知の凹凸」をとらえ、その人の傾向や得意不得意を見つめていこうとするのです。完全な人などいないし、私たちは、失敗なしの人生などおくることはできない、というメッセージが、そこに隠されているように思います。

傾聴の場で語られる人間の真実の物語は、しばしば「認知の凹凸」がもたらした悲しい出来事に関わっています。「律蔵」に語られる仏弟子たちの失敗の物語も、おそらく「認知の凹凸」に関わるものでしょう。人間の弱さが悲しくも、愛しくも感じられるのです。その人が仏教徒であろうとクリスチャンであろうとイスラーム教徒であろうと、あるいは無宗教であろうと、「認知の凹凸」をめぐる悲しい物語を傾聴させてもらうといういとなみは、神聖なものだ、と思っています。
 
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