学会会員各位

大会における、1)シンポジウムの企画 及び 2)個人発表の要旨を送らせて頂きます。
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(割引大会費の締切は、11月30日です。)

■ シンポジウム企画案: 「仏教的心理療法の現在と課題―臨床家からの報告―」 ■

1. 日時:2015年12月19日(土曜日)シンポジウム11:40~13:00

2.タイトル:「臨床効果への仏教的心理療法の現在-臨床家からの報告‐」

3.シンポジウム趣旨文

今日の臨床場面では、多くの心理療法が試みられている。その中には、仏教的教義や行法に由来する方法が少なからずあることが知られている。リラクゼーション方法のいくつかや呼吸法はもちろん、今日多様な臨床場面で実践されているマインドフルネスなどの瞑想法は、その典型的な例と誰しも気づくだろう。そこで、本シンポジウムでは、「仏教的心理療法の現在と課題―臨床家から報告―」をタイトルにし、臨床の現場にかかわりながら、明確に仏教由来の理論と方法を実践されている方々から報告をいただく。このシンポジウムが、学会の設立目的でもある「仏教と心理の接点」を臨床的視点から検討する一助になれば幸いである。

4.シンポジストの発題要旨

①影山教俊(日蓮宗勧学院嗣学・社会福祉法人立正福祉会「すこやか家庭児童相談室」室長)
タイトル:「仏教という心理療法、そのアセスメントと心理臨床について」

要旨:(社福)立正福祉会「すこやか家庭児童相談室」及び千葉刑務所の教誨現場等で、私は仏教の瞑想技術である「止観」を指導している。日本仏教に伝承する瞑想技術「止観」は、明治7年の医療法改正で西洋医学が公認されるまで養生医療に組み入れられていた。とくに瞑想指南の大著『摩訶止観』(中国天台、6C)の「止観病患境」には二種類の治病法におけるアセスメント、また瞑想の治病に及ぼす心理臨床が明かされている。伝統修行の体験を文献に沿って解説し、仏教と心理療法の接点を探ってみたい。

②斉藤 大法(単立寺院要唱寺CEP : Cambodia Empowerment Project、立正大学)
タイトル:「子供時代のトラウマに対する仏教心理学の可能性」

要旨:うつ、不安障害、解離性障害、依存症、摂食障害等を克服してゆく過程で、潜在意識の中の深刻なトラウマに直面することが多い。米国CDCとKPのACE studyにより、幼児期に虐待に晒された人の場合、成人してから、うつや自殺願望のみならず、慢性閉塞性肺疾患、肝炎、肺がん、虚血性心疾患等の罹患率が極めて高くなるという報告がなされた。虐待の予防と共にトラウマから解放し得る方法が、期待される。今回主にトラウマからの解放としての仏教的心理療法の試みを紹介したい。

③福島 一成(藤枝市立総合病院 心療内科部長 精神科科長)
タイトル:「色心不二、唯心所現による精神療法ー医師が変われば患者が変わる」

要旨:治療者と家族の「人間を魂と観る」眼差しにより、病状の安定化が得られた破瓜型統合失調症の症例を報告する。これまでに、演者は、治療者や家族が止観により内を見つめ、因と縁を転換した時、果報である統合失調症や妄想性障害などの重篤な精神障害が著明に改善した(因縁果報)12例を報告してきた。例え脳が障害されていたとしても、「色心不二、唯心所現」は厳然として存在しており、このような仏教的な見方が、薬物療法だけでは改善が得られない難治例に、改善への道を拓く可能性があると考える。

④武田 正文(浄土真宗本願寺派高善寺副住職、高善寺カウンセリングルーム)
タイトル:「心理療法における仏教の意義と課題―寺院におけるカウンセリングルームの実践報告―」

要旨:発表者は、現在、僧侶として法務を行いながら、寺院の一角にカウンセリングルームを設置し心理療法を行っている。仏教と心理学の理論的な接点については、本学会でもたくさんの議論があり、多くの人が認めるところとなっている。しかしながら、実践的な現場では、仏教と心理学が上手く統合できることもあれば、時に矛盾するような事態も起こりうる。本発表では、実践報告を通して、仏教と心理療法における課題について考察したい。

*①~④は発表順番ではありません。

5.進行について
司会兼コーディネーター:山口 豊(東京情報大学)

■ 個人発表の要旨 ■

【会場1-1】

死別に伴う悲嘆に関する儀礼の心理効果の文献的検討
松下弓月(東京大学大学院教育学研究科)

 本研究では、死別を経験したのちに行われる儀式が、悲嘆への適応という点においてどのような役割や効果を持っているのか、これまでに行われてきた研究を概観し、今後の研究の方向性について述べる。

 死と儀礼の結びつきは深く、死に関する儀礼を持たない文化は存在しないとも言われる。宗教の発生は死への恐怖を克服するためであると考える立場が見られるように、死と宗教の結びつきは深く、宗教的背景を持つ死の儀式も多い。しかし、近年には儀礼が持つ治療的な意義が見直されるようになってきた。医療や心理療法の領域において儀礼が治療として行われたり、日本でも、死者の身体を清める湯灌や、化粧などで身なりを整える死化粧やエンゼルメイクの治療的効果が評価されている。

 こうした死の儀礼の多様化を受け、儀礼の定義も拡大している。例えば、Castle & Phillips(2003)は、様々な領域における多様な死の儀礼の実践を視野に入れて、儀礼を「宗教的なものも世俗的なものも、公的なものも私的なものも、正式なものも略式なものも、伝統的なものも新しく作られたものも、予め決められたものも即興のもの
も、協働的なものも単独のものも、指示のあるものも自ら作ったものも、繰り返されるものも一度限りのものも、参加者の感情・思考・そして必須ではないがスピリチュアルな信念の組み合わさったものが象徴的に表現され、それを行うことが参加者にとって特別な意味を持つあらゆる活動」と定義している。

 こうした儀礼の広がりに反して、その効果に関する研究はまだ今後の充実が求められる研究分野である。比較的多く行われているのが、多様な死の儀礼に共通する要素を抽出する試みである。例えば、Hoy(2013)は6大陸の135文化グループにおける死の儀礼の調査をもとに、死の儀礼が「重要なシンボル」、「コミュニティの集合」、「儀式的行為」、「伝統との接続」、「遺体の移行」といった5つの要素によって構成されていることを見出している。しかし、死の儀礼の構成要素に関する議論には様々な立場があり、各構成要素がどのような心理的な効果を持つのかに関する実証的な研究はまだ数も限られている。

 このような状況を受けて、最後に今後の儀礼の効果研究にどのようなことが求められるのか議論したい。

【会場1-2】

「Gerotranscendence理論における東洋的視点の考察」―『十牛図』に学ぶ老いの視点―
小笠原亜矢里 武蔵野大学大学院人間社会研究科人間学専攻修士課程

今日の高齢化社会において、「老い」に関する視点をどう捉えるかは、社会的にもまた個人にとっても大きな問題となりつつある。現代社会に生きる我々は、誰もが皆同じくいのちの連続性の上に存在しているのにも関わらず、その段階に到達した個人を、我々の理解できない「そちら側」と、我々の理解できる「こちら側」とに分ける視点
に立ってはいないだろうか。そして、我々の社会ではそうした「分離」の視点が半ば当たり前のように用いられているのである。

そのような中、福祉先進国と言われるスウェーデンのUppsala大学L.Tornstam博士は、社会老年学という立場から、老年期における高齢者の世界観や生活満足度の変化を、物質主義的、合理主義に基づく西洋的価値観から、東洋思想、特に仏教・禅にあるような宇宙的世界観への移行のプロセスであると仮定し、その結果としての「老年的超越」に到達することも可能であるとした「Gerotranscendence理論」を提示する。従来から、心理学などの分野において東洋的な枠組みや世界観を評価していた研究者は少なくない。しかし、社会老年学という実証研究が最も重視される分野において、こうした視点を取り入れようとする試みは大変貴重であり、国内でもこの理論を「生活満足度」といった尺度で取り扱う研究事例はあるが、いずれもそのベースとなる「禅」の世界や東洋的世界観に関しての説明が十分とはいえず、「禅」=「異なった世界観」といった図式のレヴェルにとどまっている。

そこで本発表では、博士の著書『Gerotranscendence』(2005)の社会老年学における実証研究の結果を基に、そこから老年的超越兆候として導き出された結果と「禅」の世界観との関連性、また「年を取るということは、段々と禅修行者のようになってゆくと仮定したい」との博士の主張から、博士がその根拠とする、C.G.Jungの「個性化」
理論を参考にしつつ、「禅」の修行法を表現したと言われる『十牛図』と比較検討することによって、仏教思想の臨床的な応用の可能性、すなわち高齢者との関わりにおける「円の守り」についての考察を行う。

最後に、創建以来、豊かな仏教精神に基づいて運営されている特別養護老人ホーム「あそか園」における「ヴァリデーション」と「円の守り」を意識した傾聴と関わりの事例を紹介し、今後の臨床的展開の可能性を探っていくものとする。

【会場1-3】

釈尊は何を説いたか?―科学的認識方法の問題性―
藤 能成、龍谷大学教授

日本の人々は、第二次世界大戦後に始まる、近代科学に基づく教育を通して、科学をこそ真実であると信じるようになった。そして、物事を抽象化し数値として測定されたデータによって理解・認識しようとする、科学的認識方法を身に付けることになった。近代科学は、自然界を人間の精神の影響を受けない物質の世界と捉える機械論的自然観に立つ。このような中で人々は物質主義に陥り、科学によっては捉えることのできない、目に見えない思い、精神、働き、世界等を捉える感覚を衰微させてしまった。それに従って「生きることの意味や目的」が分からなくなった。「意味や目的」は物質それ自体ではなく、自己とモノ、自己と他者、自己と世界との関係性において
初めて成立するからである。「意味や目的」を知らずに生きる現代人は、自己中心の欲望の満足をこそ幸せと見做し、「孤独・孤立・不安・虚無感・死への恐怖」などの精神的苦悩を抱えるようになった。

 釈尊は、このような状況が起こることを、すでに予見していた。釈尊の根本教説である四諦、十二支縁起とは、物質の次元に閉じ込められた人間を、定によって精神の次元に繋がり生きるように導く教えである。現代人の苦悩は四諦によって説明できる。現代人の苦悩は苦諦(苦の現実)に、自己中心の欲望追求的生き方は集諦(苦の原因・渇愛)に対応する。すなわち苦の現実とその原因に関する基本的構造は、現代と釈尊の当時とで変わっておらず、科学的認識方法が物質主義であるが故に、苦の原因である渇愛をより強固にする方向で働くのである。だから現代人の苦悩を解決する方法も、道諦と滅諦の関係において説明できる。現代時においても、定を通して精神の次元(智慧の次元)に繋がることによって、渇愛が抑制され、苦悩は低減され、人間本来の無我・無我執なる生き方を回復することができると言える。

現代人が身に付けた科学的認識方法は、人々に五感を満足させる快適な生活環境を与えたが、一方で物質主義であるが故に、精神的苦悩を深める方向で作用することになった。本発表では、さらに煩悩の生起と十二支縁起についても検討し、現代人の精神的苦悩を解決し、本来あるべき生を営むためにも、定(瞑想)、念仏などの意識の集中よって、精神の次元(智慧の次元)に繋がり生きることの必要性を指摘したい。

【会場1-4】

總持寺修行僧を対象に行ったコミュニケーション能力を養う研修事業~傾聴と受容を学ぶ~
前田伸子1,2)、佐藤慶太1,2)、佐藤洋子3)、田中 倫1)、小平裕恵1)、高屋継仁4)、中村千賀子1)
1)鶴見大学、2)鶴見大学先制医療研究センタ?、3)宗教法人光明園、4)總持寺
     
 昨年から、總持寺の修行僧を対象に開始した本研修事業はいくつかの仏教系大学で開設されている臨床宗教師育成事業とは異なり、資格を付与するものではなく、傾聴と受容を学ぶためコミュニケーション能力の学びに特化している。

(1)目 的:修行僧が、「ひと」を知り、その心にしっかり寄り添うために必要なコミュニケーションの基礎的知識、技能と態度の修得を果たすことを目的とし、最終的に「傾聴と受容を学ぶ」ことを目指す。

(2)指導概要:鶴見大学歯学部の学生を対象に実施してきたコミュニケーション教育に関する実績を参考として、下記の二点に焦点を合わせて行う。

  1)自己の理解を深めること:「ひと」を知るにあたっては、何よりもまず自己を知ることが不可欠である。すなわち、自分自身の経験、得意あるいは不得意な行動、事物や人に対する肯定的あるいは否定的視点と行動との関係などを振り返り、自己の課題を見出して、悲嘆者の心を受け止め、寄り添える傾聴者としての自己の理解を深める。

  2)傾聴に求められる態度を身につけること:傾聴とは、苦しい状況や悲しみのなかにおかれた人の想いを聴き、心に寄り添い、その方たちの世界に『共に在る』ことである。その人が持つ、恐怖、憤懣、幸福、条理や不条理、憂患、期待、要望などを理解し、感情の動きに配慮し、聴き取る耳を養い、その人の心に寄り添い、あるがままを理解し、受容し、話し手がそのまま理解してもらえたと確信してもらえる力を身につける。

(3)演習方法:上智大学のカウンセリング研究所で行っていた手法でコミュニケーション演習を行う。また、外部の講演者をお招きし、講演をしていただき、仏教者の社会貢献重要性などの認識を深める。具体的な演習の内容は受講生(修行僧:26名)が数名のグループにわかれて、与えられた課題について、互い話しあい、その話し合いの内容をフィードバックし、十分に聴き取れているかどうかを確認する。この演習をグループを変え、繰り返していき、「どのような人に対しても、どのような時にも、目の前のその人を理解する姿勢・態度(傾聴の基本)を習得」してもらう。

 今回、第7回の仏教心理学会で、大学と總持寺の恊働事業である研修事業の詳細をご報告し、修行僧がコミュニケーションの基礎を学ぶことの重要性をご説明したい。

【会場2-1】

「団塊ジュニア」以降におけるスピリチュアリティの喪失と受容について
渡邉 昇 武蔵野大学大学院通信教育部人間学研究科 人間学専攻修士課程


現代科学・医学の進化・発達の目ざましい現代においても「死」の運命を逃れることはできない。死は人間が自我を持つ限り常にそこにある不安であり恐怖である。健康時には全く意識することのないこの事実も、いわゆる終末期と呼ばれる人生の終着に到達する時期に身を置かれたときには否応にも意識する他なく、人によっては激しいスピリチュアルペインに陥る。しかしこうした状況に際しても、スピリチュアルな世界を受容することで、自らの運命を受容し恐怖を乗り越え魂の成長にまで結びつけることが可能ではないかと考える。

しかしながら合理的科学主義、物質還元主義、極端な個人主義などによる世界観の上に成立している現代社会においては、スピリチュアリティが喪失しつつある。スピリチュアリティの喪失は何より死の現場という究極の危機的状況際して極めて不利に働くと思われる。宗教学者 岸本英夫はこれを「素手で死の前にたっているようなもの」と表現した。現代社会とは物質的利便性の獲得の代償として、死に対する武器を放棄している素手の状態であるといえる。

1 スピリチュアリティとメンタルヘルスの関係について

本論ではまず、現代におけるスピリチュアリティのメンタルヘルスへの有用性を検証し、死の恐怖を超克できる手段としての可能性を考察する。具体的にはスピリチュアリティとメンタルヘルスの関係を多く論じている、杉岡良彦の研究に準拠しつつ、各方面の論文やデータなどを参考にして発表する。

2 「団塊ジュニア」以降の「新世代」の特徴とスピリチュアリティの喪失

次にスピリチュアリティの喪失による不利益というは、1970年代の生を受けた、いわゆる「団塊ジュニア」以降の世代において特に顕著であると考え、私論を展開する。「団塊ジュニア」を境界線として日本の若者のスピリチュアリティに対する姿勢は大きく変貌していった。本論ではこの世代以降から現代に至る世代を「新世代」と定義
付ける。彼らはスピリチュアリティに対してアンビバレントな態度を余儀なくされていると考えられ、そうした状況に至る過程と要因を、70~90年代におけるスピリチュアルムーブメント(ニューエイジ、ポップオカルト、終末論など)と、主にサブカルチャーを中心とした若者文化のいくつかのトピックを概観し、その特徴を述べることで指摘することを試みる。

3 予想される「新世代」のスピリチュアルペインへの考察

 2で明らかになった状況からは、20~30年後にやってくる「新世代」の老後に対する深刻なスピリチュアルペインが予想されることを指摘する。そのケアの土壌として医療・福祉・教育の現場や家庭などへのスピリチュアリティの導入の有用性と必要性について考察した

【会場2-2】

第7回 学術大会 日本仏教心理学会 発表内容の要約
「集中瞑想と洞察瞑想における身体感覚の重要性」
藤野正寛 京都大学教育学研究科 修士2年生

マインドフルネス瞑想とは,伝統的なヴィパッサナー瞑想や禅瞑想,それらを心理療法として再編集したマインドフルネスストレス低減法などの総称で,意図的に今この瞬間に生じている経験に判断せずに注意をとどめることである(Kabat-Zinn, 1994)。この瞑想には,呼吸などの対象に注意を集中することで身体感覚などの経験に気づき観察力を高める集中瞑想と,身体感覚などの経験を判断せずに受け入れることで感情に捉われない平静さを高める洞察瞑想の2種類の瞑想技法が含まれている(Lutz et al., 2008)。

近年,これらの瞑想技法を組み合わせた様々な心理療法の開発が進められるなかで,その作用機序を解明することが重要となってきている。本発表では,そのような作用機序を解明するための前提として,ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想を基礎として,心のプロセスとそれに対する瞑想のプロセスをモデル化する。

人間は身体と心から構成されており,身心の6つの受容器(眼・耳・鼻・舌・身・意)に対象が接触すると意識(vinnana)が生じる。そのうえで,知覚(sanna)と感覚(vedana)が同時に生じ,知覚が進展して対象が識別されるに従い,感覚の快・不快・中性が明確になる。この感覚に対して,渇望・嫌悪・無関心という反応(sankhara)が生じる。この反応が,条件反応として身心に蓄積して知覚に影響を及ぼすとともに,反応や条件反応が意に接触することで新たなプロセスが繰り返され固着化することとなる。そして,この固着化したプロセスを自分のアイデンティティーであると執着することが苦の原因となるのである。

このような苦を消滅させるためには,プロセスを止める必要がある。しかし,意識・知覚・感覚は,対象が受容器に接触すると受動的に生じるため,止めることができない。これに対して,反応は,能動的に生じるため,止めることができる。この反応を止めるために重要となるのが身体感覚である。受容器に対象が接触すると身体感覚が生じるが,この身体感覚に気づかない間は,それに対する反応が自動的に生じ,プロセスが進行する。そこで,集中瞑想によって観察力を高めて,身体感覚に気づく必要がある。しかし,身体感覚に気づいても平静さが低い間は,やはりそれに対する反応が生じ,プロセスが進行する。そこで洞察瞑想によって,気づいた身体感覚を用いて平静さを高める必要がある。これらの瞑想技法によって,身体感覚に気付きながら平静さを保つことができ
るようになると,反応が徐々に弱まるのである。本発表では,以上のような心のプロセスとそれに対する瞑想のプロセスを神経科学の観点を交えて説明する。

【会場2-3】

「心理カウンセリングと仏教教義~不登校,ひきこもりの事例を通して~」
山田博夫 元共栄大学教授

 仏教教義も心理カウンセリングも、その基本的な理念や目標には差異はないと思われる。両者とも人間のあるべき姿や心の問題をとりあげ、その異常、障害に対して対策を講じ、心の平安、安寧を実現しようとする点が共通しているといえよう。究極的には自律的な生き方や広い意味での幸福の実現を図ろうとするものといえる。その意味で、仏教教義を広めようとする場合、心理療法でもあるカウンセリン理論や手法を適宜導入、融合させ、また一方カウンセリングの実践効果を高めるために、随所に仏教教義を有効裡に導入することは、共に大きな成果を期待しうるのである。私自身は後者の方で、学生や社会人に対するカウンセリングやカウンセリング教育で仏教教義、教訓、説話等を数多く用いてその効果を高めてきた。この場合仏教そのものを紹介、PRするのが目的でなく、それを来談者が持ってきた問題の解決のための一手段、ツールとして活用しているのが特徴である。いわば「仏教カウンセリング」ではなく、「カウンセリング内仏教」と称したほうが正確である。カウンセリングを行うプロセス(手順)は来談者の持つ問題、内容等によって当然その差が生じるが、一般的には、1問題の提起、2問題の状況把握、3原因の追究、4解決目標の設定、5目標達成のための解決策の設定、6行動計画の作成、7実行のフォローと是正活動、に分けることができる。これらの各プロセスに対応して、各種の仏教教義を随時、随所に無理なく自然に取り入れることが肝要である。なぜなら来談者の中には、仏教や宗教という言葉自体に拒絶反応をおこす人もおり、こちらカウンセラー側も仏教を特別PRするのが目的ではないので、あえて仏教色を鮮明にするメリットはない。時にはキリスト教やイスラム教、儒教などの教義も適宜取り入れることが仏教色を薄める上には効果的である。いずれにせよ上記カウンセリングの各プロセスに、人生の真理、法則、目的等を明解にした仏教教義を適切に用いることは、時に凍結した問題を瞬時に氷解するほどの偉大な成果をもたらすことも多々見られる。来談者にとっても、何宗であれ役立つものであれば何でもよい、というのが基本的スタンスゆえ、用い方により、仏教と心理学(カウンセリング)とのコラボレーションは今後一層の発展を期することができよう。不登校、ひきこもりの事例を通じ、その一端を紹介する。

【会場2-4】

心理的問題の改善と自我超越の双方に寄与する心理技法の探索: REBT(Rational Emotive Behavior Therapy)をめぐって

吉田 悟 (文教大学大学院 人間科学研究科 臨床心理学専攻 教授)
大島 裕子(文教大学大学院 人間科学研究科 臨床心理学専攻 修士課程)

 心理学と仏教を統合する上で、心理学が目指す心理的問題の改善だけでなく、仏教が目指す自我超越にも寄与する理論と技法を探索することが重要であろう。本報告では、心理的苦悩や精神病の治療の有効性が高く、仏教と考え方が近似しているという指摘がなされてきたREBT(Rational Emotive Behavior Therapy)に焦点をあてて、REBT実践の各要素と仏教との関連性の検討を通して、心理的問題に有効でかつ、自我超越へと導く心理技法を探索する。

 REBTは認知行動療法の潮流に属し、かつ様々な心理的問題の改善に有効である。パーマー(Palmer, Stephen)は、REBTは特に「中程度の不安や抑うつのような比較的明瞭な情緒的問題、頑固に変化に抵抗する成人(例えば、長期間の反破壊的行動)、自殺念慮のあるうつ病者、慢性の薬物乱用者、強い不機嫌があり、引きこもっていたり、他者との問題を起こしている青年、学校でうまく友達をつくれない7歳~8歳の子どもなど」
に適用されてきた、と述べている(Palmer, 2000 島監訳,2001, p.151)。またデジサッピ(DiGiuseppe, Raymond)は、多くの研究が「不安、抑うつ、人前で話すことの困難、物質乱用、怒り、行為障害、吃音を含む、多くのさまざまな問題を抱える多数のサンプルについて、REBTの有効性を強力に裏づけるものとなっている」、と述べている(DiGiuseppe,2009 小堀他訳, 2012, p.162)。特に近年社会問題としてしばしばとりあげられる大うつ病性障害については、REBTの治療の有効性は無作為化比較試験(RCT)によって確証されている(David et al.,2008; Sava et al.,2009; Szentagotai et al.,2008)。『REBTうつ病マニュアル』(David,2006)に基づいた治療は、ベック派認知療法及び選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)と同程度に有効であることが実証されている。さらに、SSRIとREBTとの併用がパニック障害、強迫性障害に有効であることが、国内の精神科外来の治療成果として報告されている(例えば、岩瀬利郎,2006)。

 本報告では、テキスト分析を通してREBT実践をモデル化し、REBT実践の構成要素とその関係性を析出することから始める。ちなみに、REBTと仏教との関連性を論じた既存の論文の多くは、REBTを印象的に捉えた論文やREBTの理論や実践のある特定部分のみを検討した論文であり、REBT実践を構成する各要素との関係を総合的に検討した論文は存在しない(例えば、Christopher,2003; David et al.,2013; Holt & Austad,2013; Kwee & Ellis,1998)。次に、当該モデルで示された構成要素の特徴について、理論と技法に焦点をあてて論じる。

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