近況報告と仏教心理学会への期待
放送大学
仏教心理学会 評議員
倉光 修

 私は本学会には設立時からご縁があり、心理療法と仏教(宗教)との関連について、いくつかの拙稿を著してきました(文献を参照していただけると幸いです)。現在は、放送大学の臨床心理学分野の特任教授をしています。私が今後、本学会に期待する役割は、前会長のケネス田中先生が紹介されたSBNR(spiritual but not religious)という視点をもっと打ち出していくことです。
臨床心理学の対象を心の傷と心の病に大別すると、後者の症状や問題行動は、前者に起因する(半ば無意識的な)反応として捉えることができます。したがって、その克服は、基本的欲求(愛情欲求や優越欲求など)があまりにも満たされなかった体験(心の傷)をしっかりと受容し(明らめ)、そのうえで、個々人の高次欲求(倫理的欲求や創造欲求など)を満たす営為(個人的当為)を実践することによって達成される可能性があります。そして、この過程では、我々すべてが「大いなる主体(宇宙・生命の源泉)」からのエネルギーによって「生かされている」と実感することがしばしば重要な契機になるように思います。
 
心理療法家は、そうした「大いなる主体」と「個々の主体」をつなぐエージェントです。思うに、覚者(ブッダ)の一人であるゴータマや救世主(キリスト)と称されたイエスもまた、このような明らめをもたらす「最深の理解者」であり、個人的当為を示唆する「最高の導師」だったのではないでしょうか。この二人には、特別な出生譚があること、元家族から離脱したこと、清貧を保ちながら正しい生き方を説き続けたことなど、多くの共通点があります。そのなかで私は、弟子や信者たちが彼らを神格化したという点に注目したいと思います。まさにそのことによって、本来のスピリチュアリティ(精神性)が失われることもあると思うのです。
 
イエスが磔にされたとき「神よ、神よ、なぜ我を見捨てたもうたか」と叫んだと複数の福音書に記されているのに、彼は神と同一視されています。また、ゴータマが死後の世界について語ったという記録はほとんどないのに、多くの仏画には彼の姿が天国や地獄と関連して描かれています。人々はこうした「神仏」に祈ることで基本的欲求を満たそうとし、僧侶はその願いを叶えるべく儀式を行って収入を得ます。けれども、イエスが自分の誕生日を祝い賛美歌を合唱する信者を優遇するとか、ゴータマが高額の戒名料や偶像の拝観料を請求する僧侶を厚遇するとはいささか信じがたい。
 
さりながら私は、真摯な祈りや清らかな暮らしが凛としたスピリチュアリティを醸成する可能性があることは信じています。それは、祈りが基本的欲求の満足をもたらすからではなく、大いなる主体(真の自己)と対話することによって、人生の苦しみが受容され、互いのつながりが実感され、生きるべき道が見いだされることがあるように思うからです。それはまさに心理療法のプロセスであり、宗派を超えたスピリチュアリティの体現だと言ってもよいのではないでしょうか。
 
文献
 
倉光 修(2008).私の統合的アプローチと仏教 In 鍋島直樹・海野マーク・岡田康伸 ・倉光修(編) (2008). 心の病と宗教性-深い傾聴. 法蔵館.pp.189-203
 
倉光 修 (2009). 禅僧と心理療法家の対話 東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース紀要, 294-296
 
Kuramitsu,O.(2019). Spiritual Images emerging in Psychotherapy Process ―beyond religious affiliation. Journal of The Open University of Japan,37,21-29.
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