仏教心理学会 運営委員(学会誌担当)
山口 豊
最近は、オンラインで学ぶことが可能となり、日本にいながらヴェーダのプージャ―に参加したり、サンスクリットをインドで学ぶ伝統的スタイルで、日本人のスワミジから学ぶことができ、ありがたいと感じています。
元々、インドの英知には強く惹かれるものがありましたが、近年ヴェーダへの関心がますます強くなってきました。仏教にとって、ヴェーダの正確な位置づけというのは寡聞にしてよくわからないのですが、あまり芳しいものではないように感じます。そのことを端的に表しているのが、ヒンドゥー教やヴェーダに対しての「外道」という言葉の存在かと思います。
このことは、日本のヨーガの草分け的存在である佐保田鶴治博士も、著書で述べられていいました。その言葉には、ヒンドゥー教やヴェーダは、仏教とは異なる「外の教え」だからという意味がこめられているのかもしれませんが、どうも、私の感じる印象として、単なる価値判断を超え、否定的な印象すら感じます。実際、密教大辞典(法蔵館)を引いて見ると、そこには、「仏教徒が仏教を内道と云い、他教を外道又は外教・外学・外法等と呼ぶ。・・・、後には、邪道邪説・異見等の意を併せ含めて、侮蔑排斥の意を以て呼ぶに至れり。」とあります。この侮蔑についてのニュアンスは、いささか問題があるのではないかと、私は感じます。また、ヒンドゥー教のホーマ(護摩)を単に御利益を得るとみる書籍も多くあります。実際、ホーマ(護摩)の目的の一つに、カルマの解消ということがあることからして、その見解にもいささか疑問を感じます。
むしろ、ヴェーダやヒンドゥー教には驚かされ、感心させられることが多々あります。一例として、ヴェーダのプージャーと密教の供養法は、驚くほど類似点があります。また、密教では、梵語(サンスクリット)をとても丁寧に扱いますが、発音に関しては伝承当時とは異なっています。一方、ヴェーダでは発音は極めて正確厳格で、数千年の間、言葉が変化しなかったというのは、驚きを超えて神秘性すら感じます。発音の正確性については、ヴェーダでは、発音自体が一つの学問として伝承されています。喉の構造をしっかり把握し、きわめてシステマテッィクに構成されていることに、驚かされるでしょう。まさに、梵語で梵天(ブラフマー神)が作ったとしか思えません。
また、浅学ながらウパニシャッドやヴェーダンタの教えは、密教教義と非常に類似していると個人的には感じています。平安時代弘法大師によってもたらされ、江戸時代までの日本人の行動様式に大きな影響を与え続けていた宿曜術という星の影響を考える占術がありますが、これもヴェーダの1つの学問であるジョーティッシュ(インド占星術)の一部が宿曜術であったということにも驚かされます。ジョーティシュは、古代インド人が人間の心理行動を惑星から考えるという学問ですが、惑星や星座に意味をあてていく方法は、心理学のタイプ論に近い面もあるでしょう。その惑星・星座・室の無数の組み合わせが、人間の心理行動を形作っているという英知にも驚かされます。
このようなことから、最近、私は人間の心理行動をヴェーダのカルマ論やジョーティシュから考えていくようになりました。