一般に、日本の子どもたち、あるいは大人にさえも、宗教的な救いの意味、信仰心の意義が、特別な環境にない限り、知られていないと考えられます。しかし、これだけ長い歴史を通じて伝承されてきた「宗教」には、自己の救いがあるということは確かと考えられます。一方で、日本の政教分離における公立教育機関では、「宗教」が見え隠れすると即座に避けられてしまうので、専門的な仏教教義を公立学校の教育に生かすことは難しいと考えられます。一方で、昔話などの媒体を通じて、自分の利益追求ではなく他者の幸せを願うことの良さなどに気づき、宗教的情操を育んでいくことは多分に期待できるのではないかと考えます。宗教的情操教育の道のりが前途多難な現代日本においても、たとえば、以下の2つの準備によって、そのような教育を促進する道が拓けるのではないかと期待しています。
一つは、そもそも「宗教」とは何かという問題を突き詰めて考えることを通して、「宗教」という言葉によって避けられてきたものの中に、人間形成に必要なものが含まれているということを哲学的に明らかにすることです。二つ目は、「宗教」の人間形成的意義や、そのような生き方がもたらす安堵感や幸福というものを、心理学の科学的知見から証明することです。
一点目については、「宗教」という概念自体が様々な誤解を招くと考えるため、いったん、「自我を「手放す」ことによる「救い」」の哲学に焦点を絞ると良いのではないかと考えます。これは、日本の大乗仏教思想の潮流の中で、様々な表現をとりながら、脈々と続いてきた生き方であり思想であると考えます。この「智慧」を現代社会において意義あるものとして解釈づけるには、心理学の科学的知見が必要になるのだろうと感じます。昨今、日本において、マインドフルネスをはじめ、仏教的な修道法の意義は、心理学などの知見を通して、一般にもよく知られるようになってきました。物質主義からの転換、持続可能な開発を目指し始めた現代人は、その効用があることが証明されれば、マインドフルネスのように、自分の生活に自ずと仏教的修道法を取り入れていくであろうと考えます。
本学会に入会させていただいてから約5年が経ちました。入会以前には、心理学といえば西洋式の、科学と親和性が高いものであり、一方の仏教は哲学的人間学と考えており、相容れない学問分野であると恥ずかしながら思い込んでいました。しかし本学会には、仏教の悟りの経験を心理学が科学的に解明できるといった展望が開けています。そして、両学問とも人間の苦悩の解消に必要なものといっても過言ではないと考えます。現在、ケネス先生の仏教心理ゼミ勉強会で学んでいることとその研究班「仏教と心理学の関係に関する参考書・先行研究書の収集」をきっかけに知ることができる先行研究を、今後、自分自身の夢である仏教的教育人間学の構築に役立てていければと考えます。