「君看よ、双眼の色」~温かな手を差し伸べ合う世界へ~

「君看よ、双眼の色」~温かな手を差し伸べ合う世界へ~
臨済宗建長寺派 林香寺 住職
RESM新横浜 睡眠・呼吸メディカルケアクリニック 副院長(精神科医)
川野泰周

 

「君看(み)よ、双眼(そうがん)の色、語らざるは愁(うれい)なきに似たり」

江戸時代に活躍した臨済宗中興の祖、白隠(はくいん)慧(え)鶴(かく)禅師が「槐(かい)安国語(あんこくご)」という書物の中で記した言葉です。その意味としては色々な解釈ができると思いますが、私はこの一節を次のように理解しています。

「この私の両の目をよく見てください。何も言葉を発さぬことは、哀しみが無いことを意味するのではありません。哀しみが深すぎて、言葉にならないのです。」

禅の修行においては、禅堂、食堂(じきどう)、浴室は三黙堂(さんもくどう)と呼ばれ、一切の私語が禁じられています。静かに、ただ今ここで自らの感覚を研ぎ澄まし、一挙手一投足に専心することで、心身が清らかに調えられてゆくことを体験するのです。

3年間という短い期間ですが、私が禅の修行をさせていただいた鎌倉の建長寺専門道場では、建長寺の開山である大覚禅師(1213-1278)のこんな言葉を毎晩、就寝前にお経として読む習わしがありました。

「参禅学道は、四六(しろく)文章に非(あら)ず。宜しく活(かっ)祖(そ)意(い)に参ずべし。四(し)話頭(わとう)を念ずること莫(なか)れ。」

現代の言葉に意訳すれば、「禅を学ぶということは、書物を読みふけることではない。兎に角実践あるのみである。あれやこれやと理屈ばかりを述べることのないように。」といったところでしょうか。坐禅の修行ひとつとっても、いくら指南書を読んだところで、一度でも坐ってみなければそれが何かを知ることはできません。こうした実践を重んじる考え方は、1500年以上も前に達磨大師が「行入」つまり実践と行動で禅の道を歩むことを説いたのが始まりとされますが、さらに1000年さかのぼれば、そのルーツはブッダの教えそのものに見ることができます。

徹頭徹尾、あらゆる瞑想者の行法から難行苦行にいたるまで、実践し尽くしたシッダールタ青年がついに悟りを得てブッダとなり、その後の半生を迷える人々の救済に捧げたのです。

昨今精神科の臨床においては、種々の精神疾患を診断するために「構造化面接」が標準的に用いられるようになりました。現病歴、家族歴、既往歴、成育歴、発達の傾向に関する質問、注意機能に関する質問等々。どれも非常に大切な問診項目ですが、いずれも患者さんが話をして下さることを前提としています。私も30歳で出家して禅僧の端くれとなるまでは、マニュアル通りの診療を続けていたと反省させられます。本当に苦しみのさなかにある患者さんは、何も語ることなどできないのです。そのことを知っていたはずなのに、当時の私は同じような質問を全ての患者さんに投げかけていました。構造化面接を遵守するという大義名分を振りかざすしかないほどに、私は物言わぬ患者さんとともに居続けることができなかったのです。

坐禅修行や瞑想の実践を続ける中で、今ではほんの少しばかり、患者さんの「悲しみと共に在る」ことができるようになったと感じます。禅の神髄とされる「自己の本分を明らかにする」などというところには到底たどり着けませんが、あるがままの自己を受け入れるしかないという体験の中で、患者さんのありのままを観る(診る)勇気を持てるようになったのかもしれません。
SNSが手放せない情報化社会を迎え、世間ではダイバーシティ、SDGsといった言葉が飛び交うようになりましたが、現実世界は人々の戦いとヘイトスピーチであふれかえり、分断が深まるばかりです。このような時代だからこそ仏教の知恵に学び、実践することが、互いの言葉にならぬ哀しみを汲み取り、惜しみなく温かな手を差し伸べ合う世界へと、私たちを導いてくれるのではないでしょうか。

今後も仏教心理学会の皆さまが、知恵と慈悲の心を参究し、広く世に伝えてゆかれることを心から応援致しております。