佛教大学教育学部臨床心理学科
鈴木 康広
鈴木 康広
このリレーエッセイの執筆依頼を頂いたのが、東日本大震災から11年目の3.11の日であった。未だに遺体が見つからない行方不明者が約2500人いることを勘案すると、震災の爪痕と傷は、まだ癒されていないといえよう。遺族と死者たちの悲痛な叫び声が私のこころにこだまする。そして、現今のウクライナ危機による、一家離散して避難を余儀なくされたひとたち、戦火に巻き込まれた死者たちの悲痛な叫び声が、私のこころに重ねてたたみかけてくる。
自然災害や(人為的な)戦争のような大きな出来事の前では、個人のちからではいかんともしがたく、われわれは無力かもしれない。しかしながら、個人としてわれわれ一人一人に出来ることはないだろうか。ユングは第二次世界大戦時に、戦争の大きなうねりの中で、個人一人一人がその内面に向き合うことから始めるしかない、と述べている。
私の尊敬する知人が、中国での学会で「習近平主席に内観を受けてもらったらどうか」と発言した。内観の三項目(してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと)を内省するだけでも、中国の政治は大分変わるかもしれない。同様に、プーチン氏に「内観」はいかがであろう?自らの攻撃性、怒り、欲(支配欲、権力欲)、コンプレックスの出処が内省されるだろうか?殺される側のひとたちの気持ちが分かるようになるだろうか?
私が専門とするユング心理学では「無意識を意識化する」ことである。仏教心理学では、十二縁起の縁起分析において、「無明によって業を作る場面(過去)・感受したことを渇愛する場面(今ここ)に留意し、渇愛が繰り返され習慣化されて執着となり、執着がパターン化してコンプレックス(有)となる場面の観察からはじめる」(井上ウィマラ)ことが肝要とされる。
プーチン氏には自身の内面に向き合って頂きたい。しかし、問題を外在化し投影する(他者を非難する)前に、われわれ自身が、一人一人、自身の内面に向き合うことから始めなければならないだろう。仏教心理学に期待する所以である。