株式会社コスモ興産 代表取締役
渡邉美由紀
私が仏教心理学に興味を持ったのは、武蔵野大学の臨床宗教師・臨床傾聴士講座で、ケネス先生の仏教心理学の授業を受講したのがきっかけでした。20代の頃、アメリカの大学で心理学を専攻し、帰国後、河合隼雄先生が主幹する研究所でのユング心理学の学びを経て、約20年間、日米教委員会で相談業務に携わっていたことから、長年、心の内面を掘り下げることが人生の課題のようになっていました。その過程で、親しい人々との死別や病の経験などから、真剣に仏教を学びたいと思うようになりました。そのような時、チベット仏教の先生に出会う機会に恵まれ、それ以降、ずっと伝統的な仏教を学んでいます。元々、真言宗を信仰する家に生まれ、般若心経をお唱えしていたためか、幼い頃から仏教に対する親和性は高く、般若心経の世界が、心のふるさとのように思えます。私にとって、心理学と仏教の間に明確な境界線は無く、さまざまな心理療法や仏教の瞑想法は、その心のふるさとに回帰ための多岐に渡る道のようなものです。
ダライ・ラマ法王は、「仏教は、宗教の範疇を越えた、心の科学なのです。(中略)内なる心の平和とは、心を訓練することによって実現されるものです。内なる心の平和を伴わない幸せは、それがどんなにすばらしい幸せに思えたとしても、はかない表面的なものにすぎません。」*とおっしゃいます。仏教は2,500年もの間、心を探究してきた奥深い教えで、叡智に富んでいます。また、心を訓練するための方法が体系的に伝えられています。すべての生きものは、幸せを求め、苦しみから解放されたいと願っています。しかし実際は、究極的な幸せが得られず、苦しみから逃れることができません。それは何故なのでしょうか?海にも空にも大地にも、元々自然界に国境は無いのに、人々は自らが引いた見えない線によって分け隔て、戦い、苦しんでいます。分別という境界線を、人は何によって、どのように引き続けるのでしょうか?その答えは、氷山の一角に顕れる意識だけではなく、その奥底に潜んでいる心の深い領域を探ることによって開示されるのではないでしょうか?しかし、闇雲に心の深層に入り込んだり、安易に瞑想を行うことには危険が伴うかもしれません。心の状態によっては、仏教瞑想を行うより、専門の心理士や精神科医に相談する方が適切な場合もあるでしょう。心の深層への旅の危険性を充分配慮しながら、その道に熟達した方から指導を受け、段階的に実践を行うことが重要ではないかと考えます。その上で、心の科学としての仏教と心理学が互いに手を携え、補い合うことで、心の平和の実現に、新たな可能性が開かれていくように思えます。
最後に、このようなご縁と機会をいただきましたことに、深く感謝申し上げます。
*出典 ダライ・ラマ法王庁
http://www.dalailamajapanese.com/news/2006/20061104
https://www.dalailama.com/news/2006/buddhism-is-a-science-of-the-mind-dalai-lama